top of page
中山道おしゃべりガイド
長久保宿
長久保宿は1602年に創設されました。中山道の難所、笠取峠と和田峠の間にあり、交通の要衝に位置していたため、江戸時代、多くの旅人で賑わい、信濃中山道で2番目に規模の大きな宿場でした。たくさんの歴史エピソードが楽しめます。

長久保宿へようこそ。
わたくしは「ひのもといちのつわもの」として名高い真田幸村(信繁)の長女「すへ」です。長久保宿は真田家と縁が深く、私は本陣の石合家に嫁ぎました。長和町コンシェルジュのガイドをお楽しみくださいね
![]() 長久保宿竪町長久保宿は宿場がにぎわうにつれ、この竪町の通りからさらに左(南)に伸びていき、横町ができ、L字型の珍しい形の宿場になりました。竪町は丸いものを落とすと止まらないほどの坂です。 | ![]() 松尾神社主神・日本三大酒神の大山咋神(おおやまくいのかみ)長久保宿の鎮守。参勤交代の大名も参拝しました。境内には多くの社が祭られており森閑として荘厳な雰囲気。パワースポットとして人気 | ![]() 一福処濱屋歴史資料館、長久保宿当時使われていた数々の歴史的なものが展示されていてとても興味深いです。観光客の皆さんが囲炉裏の周りで腰をおろし、ゆっくり休憩できます。※入場無料 |
---|---|---|
![]() 長久保宿本陣江戸時代、皇族や幕府高官のための宿泊施設。第4代当主、石合十蔵道定に真田幸村(信繁)の長女「すへ」が嫁いでいます。 中山道最古の建物。国史跡に指定されています。 | ![]() 釜鳴屋江戸時代、酒の醸造を行っていた釜鳴屋の母屋。釜鳴屋は広大な敷地に蔵等14棟もの建物がありました。当時の繁栄を忍ばせる見事なうだつが目を引きます。江戸時代初期の建物で、中山道最古の町屋建築です。長和町指定文化財 | ![]() 丸木屋間口6間、石置板屋根、奥に向かってウナギの寝床のように長い江戸時代の典型的な旅籠を復元。2階で今は珍しい石置板屋根をまじかに見たり豪快な雑魚寝部屋を見ることができます ※入場無料 |
中山道沿いの宿場の家はほとんどが石置き板屋根だったよ。長久保宿の民謡・長久保甚句の中に唄われているよ。♪長い長久保、ヨー、ヨー、!板屋根つくり♪変わらない(瓦ない)から来ておくれ♪

![]() 吾一庵歴史館。母屋の裏に馬屋がありました。家の中を馬が通った土間が通り抜けています。田の字型に並んだ間取りは当時の農家によく見られる部屋の配置です。※入場無料 | ![]() 高札場本陣の前に建てられていた江戸時代の高札場を復元。大きな高札場が長久保宿の規模の大きさを物語っています。高札を読むときは旅人も被り物をとって一礼して読んだとか。 | ![]() 問屋江戸時代、本陣とともに長久保宿運営の最高責任の役所。また、公用の荷物や書状などの継ぎ送りという重責を担っていました。荷物運搬の馬につけられた鈴の音が止むことなく鳴っていたというほど多くのものが運搬されていました。 |
---|---|---|
![]() 観音寺祀られている木造地蔵菩薩は室町時代の作と伝わっています。長和町指定文化財 |
bottom of page